<救助者 : Kさん>
<救急蘇生に関わった時の様子>
私とO先生でパッと抱き起こしたときの重さっていったら、これはもう尋常な重さじゃないですよね。ということは、ものすごく脱力しているっていうことですよね。なのにあんなに救急法を習ってきたのに、私も関市で3年に1回は習って何十時間習っているのにそのときに間違えたんです私が。
O先生は呼吸してないよねって聞いたのに、私は息があるっていっちゃったんですよ。私は脈をとったつもりで、何で脈なんかとったんか今でも本当にその後悔があるんだけども脈が触れた気がしたんですね。まだ呼吸があるって言ったのでO先生たちは毛布を取りにいくって走っていかれたときに大きい声で「先生頑張って」っていって叫び続けながら。呼吸がない時間が1分あったかないか分からないんだけれども。その間処置を遅らせたっていう思いが自分の中にすごく後悔として残ってしまって。
すぐそのあと心マッサージを自分で始めました。でもやっていても緊張しているのとその間遅れたんではないかという思う自分があるので、自分の中にも本当にフラフラしながらやっているんです。だからパッと思いついたのが何とか体育の先生を呼んでくるべきだと思ったんです。
そのあと上がってのあとのことはもう本当に子どもたちをなだめるだけで精いっぱいで、すぐ立ち上がって「先生」って私を頼るものだから、私が1人ずつ結局大丈夫だからって言って抱いては下ろしてっていうことを繰り返していて。
先生が救急車で運ばれたあとにだからみんながワーッと泣き始めたときには本当に自分もどうしようかと思ったんですけど本当に。
<処置後の想い>
何度も繰り返しその場面のことを思うんですよね。私なんか犬の散歩をしながらもずっとあの時こうすればよかったんじゃないかって、行ったり来たりしている間も何度も思いながら。でも人命救助に関わったっていうことは本当に命の尊厳を預かったことになるんです。対応が正しかったのか?すごく後悔する部分もあるけど、実はこういう場面に出くわした自分が、一つのそれも奇跡に出会ったっていうことが実は本当に私の人生の中でこんな貴重な体験をさせてもらったと思うんです。
これは次に繋げなきゃ絶対だめだと思うんです。「こんなことに出会っちゃって」っていうんじゃないんですよ。これは出会わしてもらえてなんです。そう思わないと、次に繋がらないんですよ。ものすごくそれは思うんです。多分、救急救命士の方もきっと助かったりなんかした時に、きっとそういう生きがいを感じられるのと一緒で、普段はね本当にあまり感じない命っていうことを本当に目の当たりにして逆にこういうときに私がここに居させてもらった。
私がちょっとでも、こういうことに関わらしてもらえた。命を繋ぐっていうことでいうと、3年1組の子どもたち新聞にも載った子どもたちに、「私たちってすごい命の勉強したね」って言ったら、子供たちが頷くんです。きっとあの子たちも、この場面に出くわして結果は良かったからなんだけども、きっと大きくなるまでこの命っていうことを感じることが出来る。
別の言い方をすると、私たちが神様にもらった一つの出会いだったんだなと思います。これで怖いからとかもう嫌だとか思いません、逆です。今度は血見ようがなんでもやれる。やらなきゃいけないし凄いことだなって感じるんですけど。
<今後、同じ状況に遭遇したら>
次に遭遇したときには、もう絶対に自分はもっと冷静に行動できると思うし、そんないろんなことを今回思ったことなんかは思わないでできるって思って、「私できますから」っていって言うぐらいのつもりはあります。逆にこんな思いをするから、次はやらないなんて思ってません。他人であろうがだれであろうが今度はもっと冷静な判断をしてやりたいと思っておりますが。
<遭遇した人たちの心のケアについて>
フラッシュバックではないんですけど、写真の映像のようにそこの場面がボンボン出てくるんですね。
それは助かっても助からなくてもきっと関わった人には出てくるんだと思うんですけど。
子どもにはもっとスクールカウンセラーの方とかどんな状況だったかっていうのを話しを聞いてもらえる人がいたら良かったかなと思うんです。次の日も給食が食べれないなんていう子どもがいましたので。
2人女の子でやっぱり給食が怖くて食べれないって言ってましたし、私もその日カレーだったんですけどもしカレーが出たら食べれんなっていうぐらい長いことカレーって言葉も怖かったですし。何て言うのか、話を聞いてもらえる人が必要でしたね。話を聞いてもらうだけでいいんですよ。同じ話を何度もしてもいいんですがそうすることによってその情景が薄れていくんじゃないかと思います。
私は結構友達とかに話しました後悔も含めて話をずいぶんして。助かったときも「先生の意識が戻ったよ」って言った時、子どもと共有し一緒に喜び合うっていうようなことも、大事だったかなと思いますけど。