<救助者 : O先生>
<当日の様子>
職員室で何人かで給食を食べていたら、となりのクラスの教諭から「Y先生が倒れたので救急車を呼んでください」と連絡がありました。
私は、1年前の野外学習でY先生が意識を失われた姿を見たことがありました。その時は、その場にふわ?と座り込まれました。立っているのに疲れたから、座られたのかな?と言う感じでした。でも一応、そばに行って声をかけたら「今私、倒れた?」と聞かれ、その時は普通でした。
倒れたといっても、その時と同じだと思い、あの程度のことならば救急車は呼ばなくても良いだろうと思いながら、校長先生と一緒に教室に走った。
大型テレビやパソコンがある、ごちゃごちゃしたところで、どうやってあそこに倒れこまれたのか分からないですが、テレビの台の横の棒に顎をぶつけて、うつぶせの状態でたおれてみえました。私が駆け寄って起こそうとしたのですが、重くて起こせなくて、そばにいた若い先生に「起こすんやて!」っていったけれど、誰も手が出せないで呆然としていました。K先生が駆け寄って来てくれて、一緒に起こしました。
起こしながら「場所あけて」と言って、寝かせる場所を作ってもらって、仰向けに寝かせました。呼吸を確認したら、呼吸をしていない感じがしたんです。でも倒れた原因が分からないので、嘔吐しているといけないと思って、体を横に向けて、もう一度呼吸を確認しました。やっぱり呼吸していない気がしたので、側にいた若い女の先生と一緒に仰向けにして、気道を確保しました。
そしてもう一度脈と呼吸を確認して、不安だったので、K先生にも確認してもらいました。「脈も呼吸もある」という事だったので、「保温しなきゃ」って思い、K先生に「見とって」と頼んで、保健室に走りました。途中で、出会った先生に「AED持ってきて」と叫んで、保健室から毛布やタオルケットなどありったけの物を持って来ました。そして毛布をかけたら、「脈がない」って叫んだので、「じゃあ心臓マッサージをやろう」って2人確認して、K先生が「私がやります」といって心臓マッサージを始めました。
<心肺蘇生法の経験>
K先生と私は関市の学校にずっといました。関市では救急救命普及員資格を取ることになっています。それを受けてて、それで3年に1回ずつ更新をしていたんです
学校の中で、先生たちの夏休みの研修としてプログラムされているんです。
<救急隊に引き継いでからの想い>
私、救急車に乗って大学病院まで行って、それから処置が終わってこれから体温下げますっていうところまで一緒にいたんですけど。私は心臓が一度止まったのでもう社会復帰ができるのかできないのかっていうふうに思っていたんです。あとは、子どもたちのPTSDのほうへのケアを今度はしなきゃいけないので、学校の職員としてはそっちの方に心を裂くっていうふうになりましたけど。ですからY先生が意識を回復されてご飯を食べられたって聞いて本当びっくりしました。